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南京大虐殺はなかった!?

南京大虐殺はなかった。

そもそも日本には虐殺と言う概念がほとんどありません。城塞都市がないのも、虐殺がないので民衆を守る必要がなかったことを現しています。中韓のプロパガンダに負けるな!

南京大虐殺記念館はじめに

このページはTwitterやフェイスブックで拡散して欲しいほどの内容なのですが、支那の南京市にある「南京大虐殺記念館」をご存知でしょうか。

ありもしない南京大虐殺の写真を沢山ねつ造して、南京大虐殺をご丁寧に世界に広める為に建てられた政治色の強い記念館なんですが、あれ、実は
「日本人がお金を持って行って建てています」。

建てたのは、
元社会党の田邊誠という元衆議院議員で現在(2015年)は、民主党の党群馬県総支部連合会常任顧問をしている人なんですが、1982年に田邊誠が総評から3000万円も持って行って建てています(建設費は870万円で残ったお金は共産党関係者で分けたらしい)。

ちなみに総評とは、日本労働組合総評議会のことです。自治労や、日教組、その他、全国の労働組合による組織です(1989年11月に解散)。

悲しいことに設計も日本人とのことです。




当時、支那は「文化大革命」の時代で、支那国民党に虐殺された兵士への追討がブームでした。
支那人は広島の原爆被害者に祈りを捧げに行く人は居ても、南京大虐殺の犠牲者は「支那国民党が殺したもの」として誰も犠牲者と弔う人などいませんでした。

学術界でも南京大虐殺の研究はタブーでした。

つまり、支那において
南京での大虐殺と言えば、支那国民党の蒋介石だったのです
日本軍による南京大虐殺を言いだしたのは、1983年ぐらいからです。

それどころか支那共産党の毛沢東は、1938年5月の延安の抗日戦争研究会で公演したが、日本軍の攻城戦について「
包囲は多いが殲滅は少ない」として日本軍の甘さを指摘しているぐらいです。

ユン・チアン&ジョン・ハリディ著の「マオ」には、「毛沢東が長い人生で一度も言わなかったことがある、南京大虐殺だ」という記述があるくらい支那共産党にとっては南京大虐殺は問題ではありませんでした。

それが、田邊誠の存在で一気に変わります。
この辺りは靖国参拝問題と流れが全く一緒です。全く気にしていない支那を叩きつけて、一度は拒否した支那を動くように仕向け、支那全土に広まっていくという流れです。
靖国参拝問題もこの田邊誠が、わざわざ北京まで行って胡耀邦総書記( 当時 )に『 なんでもっと怒らないのか! 』と抗議します。それでも民主改革派で経済重視派だった胡耀邦総書記は、中曽根首相の靖国参拝に対して抑制的でした。

すると田邊誠は旧満州に行き、そこで演説などで更に煽ります。
その結果、『 靖国参拝反対 』が中国全土に広がり、胡耀邦は政治生命が危うくなった。 『 胡耀邦が危ないぞ 』というので、中曽根首相は翌年から靖国参拝をやめることになります。

南京大虐殺記念館も田邊誠が、南京市に訪れた際に建設するように提案しています。
しかし当時、中国側は資金不足を理由として建設に消極的でした。しかし、田邊誠の再三の提案と建設資金の寄付の申し出により、1983年に同記念館の建設が始まっています。

その結果、何も気にしていなかった南京大虐殺が支那において、日本非難の急先鋒になっているのは悲しい事実です。

参考
笠原十九司『体験者27人が語る南京事件』高文研
浜田幸一『日本をダメにした九人の政治家』講談社


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南京大虐殺はなかった!?

外部リンク


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